~私の軌跡~Vol.1

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落ちこぼれだった私

中学生まで勉強は得意で成績も良好、勉強が好きでした。

高校入試も難なく合格しました。

しかし、高校は理系の国公立大学を目指す進学クラスに入り、ついていけず、落ちこぼれていきます。

だって、クラスメイトは休み時間も次の授業の予習をしていました。

そして、他のクラスとは教科書も違う、指導する先生も違う。

私は高校1年生になった時に自分は裸の王様であったことを思い知るのです。

ついていけない…( ;∀;)

1年生の3学期?だったかな。

私は文系のクラスに変更を希望します。

高校2年生から文系のクラスへ

2年生から文系の緩いクラスに変更しました。

ちなみに文系のクラスも2つあって、もう1つはね、国公立大学の文系を目指すクラスでついていけないの分かってたから選択肢に入れなかった(笑)

授業も全然ついていけるし、とにかく楽しかった。

クラスメイトも面白いし、こっちの方が最高(*‘∀‘)

クラス変更をして良かったと、この時は思っていました。

でもでも…いざ進学の時期になると、全然授業内容が違う、レベルが違うから、受験には対応できないことを知るのです。

それから、先生とマンツーマンの補習が始まります。

大嫌いな理科の化学。でも、受験に必要だから、必死でした。

私、本当は大学とかどこでも良かったんです。

でも、私の母は結構教育ママで、大学は国公立or有名大学を希望していました。

そして、手に職をつけるのを好む人でした。

ちなみに私の両親は公務員です。

「安定した仕事に就きなさい」と言われ、育ちました。

親戚たちもみんな有名な高校や大学に通っていて…

私は劣等生でした。

でも、親に敷かれたレールを歩かないといけない。

自分の人生を生きている感覚がなかったんです。

私は当時、服飾系の専門学校に進みたかった。

母と何回も話し合いをしても、将来困るからと聞き入れてもらえず。

全く興味のない大学進学の道を歩むことに。。。。

親の言いなりの毎日。

私はやりたいことが出来ないんだと少し諦めモード。

かなり反発もした!門限を守らない悪い子になりました。

父によく正座させられ、こっぴどく怒られたなぁ~(笑)

私の反抗も届かず、大学に行くことを辞めさせてはくれず、嫌な受験勉強が始まりました。

母は高卒でした。

とにかく私に大学に行ってほしかったんだろうなと思います。

ちなみに、父は高校退学になっているようです。

私が通っていた高校に通っていたらしいですが、何か問題を起こしたようです(詳細は知りません)

その後、神戸の専門校?のようなとこに入ったそうです。中学生?からたばこを吸っているような父です。(※ご想像ください)

私の母は高卒で大阪の会社に就職してたので、二人とも関西に馴染みが深いんです。

話を戻しますね。

高校時代、ろくに勉強をしなかった私の大学入試は散々なものでした。

私の偏差値では絶対受からないような大学をたくさん受験しました。

そして、大学に行きたくなかった私は受験勉強にも力が入りません。

結果はご想像通り、不合格ばかり。でも、母は諦めません。

予備校に通わし、私に受験をさせ続けました。

もうここまで来ると執着だよね。

でも、10代の私は親に反抗を続けるほど強くはありませんでした。

※今なら、言いたい事言えるけど(笑)

完璧、親の言いなり。(でも、親の期待にもこたえたかったんですよ。)

将来の職業も親に決められたり、なんで私はやりたいことをやらせてもらえないんだろう?

学びたくないことを学びに大学に行くって?どういうこと?

そりゃ、勉学に励めないですよ。

なんで大学にこだわるんだろう?

当時はそう思っていました。

つづく・・・

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